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夢こそ力
挑戦する不屈の金型屋

定価(税込)  1,650円

著者
サイズ 四六判
ページ数 230頁
ISBNコード 978-4-526-07946-7
コード C3034
発行月 2019年02月
ジャンル その他 経営

内容

自動車や家電の部品製造に不可欠な金型。戦前生まれの著者は激動の時代を駆け抜け、金型屋を40年続けてきた。名古屋では少し名の知れたオヤジの“型破り”な型づくり人生を、自身のルーツや社業の発展を通じて愉快に綴る。

早瀬 實  著者プロフィール

(はやせ みのる)
1940年、名古屋市長良町生まれ。1959年、名古屋市立工業高校機械科を卒業し、新和精密プレス工業株式会社に入社。1979年に株式会社ナガラを設立し、翌年から操業。以降、金型製造に強い技術を持つ会社として日本を代表するメーカーと仕事を続けてきた。2007年には経済産業省の「元気なモノ作り中小企業300社」に選ばれたほか、一般社団法人日本金型工業会では数々の要職を歴任している。また、2017年には東京大学大学院精密工学科の外部講師に就任した。

目次


はじめに  

第1章 空襲を生き延び、畑仕事に耐えるそんな子供時代が楽しかった理由
●五歳で迎えた「日本のいちばん長い日」
●家の周りは焼け野原だった
●沈没船から生還してきた父
●焼け出された親戚が集合して七所帯同居へ
●小学校で教わった「道端で食料を得る方法」
●小二で開花したモノづくりの才能 遊郭の女性に大人の世界を教えてもらった
●ヤクザが家にやってきた
●布団の中で知った大人の世界
●農家の毎日は仕事の連続だ
●親戚回りをしながら観察した人間模様
●「モノづくり」の原点は農家にあった
●病気と「怠ける自分」は小学校に置いてきた
●機械実習と理系科目が得意だった高校時代
●原始的な生活が器用な子を育てた
●再び遊郭に通うようになった理由

第2章 就職したプレス工場の経験 すべてが将来への糧となった
●新人が任された大きなプロジェクト
●名古屋を襲った強烈な台風
●救援作業中の大ケガもチャンスに変える強運
●大手企業にも認められた「早瀬マジック」
●本格的な精密金型工場を新設
●母の死、叔父の新事業、そして自分の結婚
●大手メーカーにも頼られる企業への成長

第3章 急成長させた会社の堕落が独立・起業を決意させた
●お客様の出資した設備で他社製品を生産する裏技
●社外にも頼れる仕事仲間が増えていった
●成功した会社と失敗した会社
●持っていかれた工場の機械
●兄弟親族の事業は失敗ばかり?
●十三人を引き受けて株式会社ナガラがスタート
●金型のテストをしてから納品するのがナガラ流
●名古屋商法の問題点は閉鎖的なところ
●父の死によって始まった相続の作業
●モノづくりに合う人と合わない人
●「何事もできぬと思うな、できると思え」
●三菱重工の会合で上席に着いている訳
●三菱農機、そしてトヨタへと広がるお客様
●金型会社の地位向上を目指して
●人材には恵まれたナガラの創業期

第4章 株式会社ナガラ誕生 活躍の場は全国、そして世界へ
●ガラ空きの飛行機で北京へ
●中国で始まった金型製作事業
●中国トヨタの工場視察で準国賓待遇に
●百人規模の企業に成長するまで
●CMや電車広告、NHKの番組へと増える露出
●一億円以上かけてプラスチック成形加工に進出
●アメリカ旅行中に感じた歴史との遭遇
●三重千草工場を売却して本社北工場を新設
●借金を踏み倒されない裏技とは
●銀行ごとにまったく異なる対応
●ベトナム人研修生受け入れのきっかけ
●中国側の理不尽さに耐えきれず撤退
●新しい三重工場の建設とリーマン不況
●数字しか読めない人にビジネスはわからない
●これからも国際交流は活発になっていく
●銀行との戦いは終わらない

第5章 仕事をしながらしっかり遊ぶ そうやって今の私ができてきた
●就職直後から宴会に呼ばれてきた
●女性社員とのデート費用はパチンコで
●結婚後も続いた「朝帰り」
●料理屋でのおもてなし
●女性との関係が仕事の助けになる
●正月恒例の伊勢参りで考えたこと
●社員、取引先、近所の人まで楽しむ五日間の花見
●天皇陛下がくださった勲章に恥じないように
●金型の技術で日本のモノづくりを支えていきたい

おわりに  

はじめに

 三年前、私が七十五歳になったとき、それまで五十五年間にわたって続けてきた金型づくりの仕事について、何か記録が残せないかと考えた。そこで、一般社団法人日本金型工業会事務局の川田明美さんに相談したところ、「それなら、本を書いてみたらいかがでしょう?」とアドバイスを受け、日刊工業新聞社の編集者に会ったことから、慣れない原稿書きの作業が始まったのである。
 最初は、仕事の話を中心にしようと思っていたが、構想を練っているうちに少し考えが変わってきた。というのも、自分の幼少期を振り返ってみると、今の若い人には想像もつかないような出来事の連続であり、そこで得られた経験がその後の人生に大きく影響していることを思うと、そこに触れないわけにはいかなかったからだ。
 一九四〇(昭和十五)年生まれの私は、物心がついたときには悲惨な戦争の真っ只中に置かれ、五歳で終戦を迎えてからもさまざまな混乱の中で育ってきた。しかも、小学校に入る前から家業である農作業を手伝わされ、一人前の働きをしている。その他にも、親兄弟や親戚を助けるための多くの仕事をこなしながら、学校にもちゃんと通っていたのだから、今だったら児童虐待として問題になっているかもしれない。
 ただ、この本で書きたいのは、「私はかわいそうだった」という話ではない。たしかに、かなり悲惨な子供時代だったし、高校を卒業して就職してからもたくさんの事件があった(一九五九年の伊勢湾台風のときには大ケガまでしたほどだ)。しかし、それらを振り返ったときに、嫌な思い出ばかりだったかと言えば、そんなことはなかった。むしろ、私なりにそれぞれの経験を楽しんできたと思っている。
 小学生でありながら、重いリヤカーを引っ張って往復五キロメートルもの道を歩き、農作業に必要な下肥(要するに糞尿)を運ばされたのは過酷な労働だったが、訪れた先が遊郭だったため、そこで働く女性たちと親しくさせてもらい、大人の世界を垣間見ることができた。
 私の親戚たちは事業で失敗することが多かったのだが、父に金策の相談に来る様子を隣の部屋で聞きながら、「仕事をするのは大変なんだなあ……」といろいろ考えさせてもらった。このときの教訓は、その後、自分で会社を立ち上げるときに大いに役立った、と今だからこそ思う。
 最近では、いじめやパワハラ、セクハラなどさまざまな虐待行為が問題になっている。もちろん弱者は守られるべきだが、しかしそれは、何でもかんでも過保護にすればいいという話ではない。厳しい状況の中でも成長していける手立てはあるはずで、そういう人生のコツのようなものを、この本を通して伝えられればいいと願っている。
 初めて書いた本なので、私の思いをどこまで表現できたかはわからないが、「こんな変わった奴がいた」ということだけでも、記憶の隅に留めていただければ幸いである。

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