買い物かごへ

現場主義を貫いた富士ゼロックスの“経営革新”
品質管理、品質工学、信頼性工学、IEの実践論

定価(税込)  2,268円

著者
サイズ A5判
ページ数 228頁
ISBNコード 978-4-526-07854-5
コード C3034
発行月 2018年05月
ジャンル 経営 ビジネス

内容

富士ゼロックスは将来の競合出現と競争激化を予測し、技術提携先の米ゼロックスからの依存脱却に挑む。品質管理では朝香鐵一と鐵健司、品質工学では田口玄一、信頼性工学では真壁肇、IEでは川瀬武志の諸先生方との経営革新に挑んだ著者が、富士ゼロックスがメーカーへと転身を遂げるまでの実践的経営秘話をまとめた。

土屋元彦  著者プロフィール

(つちや もとひこ)
1935年6月3日、東京生まれ。1958年、富士写真フイルム株式会社入社、1971年、富士ゼロックス株式会社入社、竹松工場製造課長。1972年からQC推進室課長、ニューゼロックス運動推進室長、デミング賞受賞時推進責任者、海老名工場長、取締役、海老名事業所長、常務取締役、鈴鹿富士ゼロックス株式会社代表取締役社長、代表取締役専務(画像形成材料・電子デバイス部門管掌)、富士ゼロックス総合研究所所長、多摩ゼロックス販売株式会社代表取締役会長、顧問を経て、2005年退任。
〈外部活動〉
電子写真学会(現日本画像学会) 会長、品質工学会会長、学校法人鈴鹿医療科学大学理事、第一生命保険相互会社評議員

目次

発刊に寄せて(東京大学 藤本 隆宏教授)
はじめに

Ⅰ章 富士フイルム
1958~1971年
技術革新・経営改革(価値創造経営)を支える原体験
1.1 人とのつながり、絆の形成
1.2 価値創造の原点
1.富士フイルムの技術革新へのDNA
2.既存技術に頼れない事態の発生
1.3 ゼロックス・コーポレーションとの技術提携
1.ゼログラフィーの誕生
2.富士ゼロックスの創立
1.4 消耗品工場での生産立ち上げ
1.小田原工場
2.竹松工場への独立
1.5 労働組合の民主化活動への参画
1.6 富士ゼロックスへの移籍

Ⅱ章 QC推進活動
1972~1975年
ゼロックス技術への依存を脱却して独自技術による商品開発と生産の学習
2.1 品質管理との出会い
2.2 部課長層の活動「M活動」は改善事例の作成から
1.QC業務改善報告会
2.海老名工場におけるQCストーリーにもとづく改善事例作り
3.開発部門のM活動
2.3 品質工学による技術者層の活動「E活動」
1.田口玄一先生に私淑した理由―品質工学の真髄に触れて―
2.M活動との連携から生まれた先生の名言
3.品質工学は組織横断型チームで
4.テーマの選定方法
5.QC研究会の発足
2.4 開発部門のM活動に信頼性工学を
1.当時の商品開発状況
2.真壁教授の指導陣への参加
3.真壁先生の「FX-3103」指導
2.5 推進スタッフはリトル先生でも、リトル社長でもない
2.6 庄野副社長の突然の引退

Ⅲ章 ニューゼロックス運動
1976〜1981年
富士ゼロックスのメーカー体質への変革―FX-3500開発と科学的営業―
3.1 社長への提言
3.2 NX運動とその推進体制
3.3 朝香流「リーダーシップ型TQC」
3.4 NX運動の目標設定
3.5 市場ニーズに合致した新商品の早期開発「3500物語」
1.ダントツ目標の設定
2.FX版PPPの採用で短期開発目標を達成
3.6 徹底的重点志向による科学的営業
1.NX運動開始時の営業の状態
2.営業部門のM活動―重点営業所のTQC活動―
3.科学的営業手法の開発をNX推進室で
3.7 吉村社長からの新しい指示
1.社長方針の策定
2.QCサークル活動の全社展開
3.8 トップ層の活動「T活動」はトップQC診断から
3.9 デミング賞への挑戦
1.3500総合レビュー
2.デミング賞への挑戦宣言と企業理念
3.デミング賞挑戦目標
4.トップQC診断から方針管理の展開へ、そして研究活動を
―役員実践活動「T研究活動」―
5.次期新商品開発を機能別管理体制(品質保証体系)で
6.富士ゼロックスの販売プロセスの完成
7.デミング賞審査への準備
8.体制の立て直し
9.直前の修羅場
3.10 デミング賞の審査と受賞
1.デミング賞に臨む小林社長の決意
2.デミング賞の現地調査
3.デミング賞の受賞
3.11 ニュー・ゼロックス運動の成果
1.デミング賞の意見書
2.NX運動の成果(データは実情説明書から引用)
3.12 デミング賞受賞後の将来展望
1.日本品質管理賞への挑戦宣言
2.85ビジョンの検討
3.NX推進室の大転換

Ⅳ章 海老名事業所の改革
1981〜1986年
世界に通用する独自商品の品揃え―プロダクトとプロセスのイノベーション―
4.1 最初の仕事は、海老名工場の再生とプロセス・イノベーション
1.川瀬先生との出会い 102
2.作業者の恐怖心を払拭する決断
3.革新を支えた「現場(ライン)中心主義」
4.ライン自身も意識変革を
5.新設の製造部技術課が大活躍
6.新しい在り方を実践したもう一つのスタッフ
7.機械課の華麗なる変身
8.生産管理システムの改善
9.Mプロの誕生
4.2 海老名事業所の誕生とそこでの商品開発の改革(プロダクトのイノベーション)
1.海老名事業所の誕生
2.海老名事業所の経営方針
3.競争力のある商品の品揃え
―同時並行開発商品群、通称Xシリーズ開発―
4.土屋道場の開催
4.3 デジタル商品の嚆矢・写楽
4.4 富士ゼロックスの追い求めたもう一つの道

]Ⅴ章 鈴鹿富士ゼロックス
1987〜1990年
デジタル部品開発による事業構想型の経営改革
5.1 社長交代の背景
5.2 1987年新年社長挨拶
5.3 湯の山事業検討会
5.4 黒字化構想で配慮すべき懸案事項
5.5 現状把握のためのヒアリング
5.6 経営方針の選択と決定
1.総合部品メーカーを目指す
2.高付加価値生産品目の開発・生産
3.社員教育の充実
5.7 事業構想を練り上げる
1.生産品目ごとに再建方向を明確化
2.新市場(顧客)区分
3.部品の付加価値別選別受注基準
4.新規設備投資財源の確保
5.組立に対する新しい考え方
5.8 6月の創立5周年記念日に発表した事業構想
5.9 身近な夢の実現を目指した社員向けのもう一つの構想
1.QC教室
2.川瀬先生・金沢先生指導会
3.はあもにいパークの設立
4.食堂の一元化と新装
5.都市計画の再構築と緑化の推進
5.10 トップセールス ー社長の二つの大仕事ー
1.サン・マイクロシステムズ社
2.富士フイルム社
5.11 成果
1.売上と利益
2.富士ゼロックスへの貢献
3.事業構想の検証

Ⅵ章 竹松事業所・総合研究所
1991〜1998年
21世紀に役立つ技術を創造するために技術陣を再構築
6.1 竹松事業所の経営革新(技術の再生)
1.最初の運営会議での驚愕と決断
2.竹松に経営革新がなぜ必要だったか
3.小径ドラムOPC感材の開発生産(内製化)
4.現像器カートリッジの大幅コストダウン
6.2 21世紀に通用する研究所の新設と経営
1.総合研究所長としての最初の決断
2.21世紀に役立つ研究所構想
3.新技術創造のための研究プロセスのイノベーション
4.“創”のモニュメント
5.研究成果を基本特許の取得で評価する
6.研究所改革の成果と独自運営手法の検証

おわりに
附録資料
参考文献

はじめに

はじめに
 敬愛する小林陽太郎さんが2015年9月5日、2年を超える闘病生活の末に亡くなられた。残念至極である。ご生前「土屋君、富士ゼロックスのTQC正史を書いてくれないか」と乞われていた。しかし、裏話ならともかくも正しい歴史など書けないと、これまで約束を果たさずじまいできた。それを果たすのが本書を書く動機である。どうせ書くならば、全社的品質管理(TQC:Total Quality Control)だけに留まらず、関連の事項もと欲張ってみた。
 小林さんと言えば、キャンペーン・ワード「モーレツからビューティフルへ」を標榜する経営を目指した経営者である。その小林さんのもとで、猛烈しか取り柄のない私が、サラリーマン生活40年のうち22年の長きにわたり直属の部下として働けたのは驚きである。
 それだけに「モーレツに仕事をする」にしても「ビューティフルでなければいけない」と心掛け、それなりの工夫をしてきた。今にして思えば「モーレツをビューティフルにしぶとく生きた」のが我が人生であった。昨今の企業不祥事に鑑みると、小林さんのお蔭で美しく猛烈な人生をまっとうできて幸せであったと感じている。では、「しぶとく生きる」とは、どんな生き方であったかを書いてみよう。
 少しずつ書き貯めていたところ、あっという間にほぼ1年が過ぎてしまったが、この夏(2016年)から一挙に筆の勢いが加速したのである。その訳は、東京大学ものづくり経営研究センター(MMRC)所長の藤本隆宏教授との出会いであった。藤本先生は、現場主義による「ものづくり経営」2を提唱・普及する立場から、1970〜1980年代の日本における経営改革に着目され、富士ゼロックス海老名事業所と鈴鹿富士ゼロックスでの当時の活動に関心を持っておられた。私が、鈴鹿富士ゼロックスの改革に関わったことを知る日本生産性本部谷口恒明元理事長の紹介で、先生と直接お会いする機会に恵まれた。
 そこから、藤本先生を中心に、東京大学の新宅純二郎教授、芦田尚道特任研究員、成蹊大学福澤光啓准教授、新潟大学岸保行准教授、法政大学糸久正人准教授とのインタビューが始まった。そのための説明資料作りをしていくうちに、本書はほぼ完成してしまったのである。
 それだけに留まらない。先生方との質疑応答を通じて、私が夢中でやってきたことが、時代考証的に意義があると教えられ、成功要因を問いただされた。そのやり取りから、私の“暗黙知”が“形式知”化された。しかもその形式知は、先生方が研究しておられる「工場史」の資料として役立つようである。それならば、より歴史的価値を高めようと、当時の関係者に意見や調査を求め、より正確、より深い資料になるよう努めた。
 私のサラリーマン生活は、1958年、富士写真フイルム研究所における未知なもの(トナー)作りへの挑戦から始まった。富士ゼロックスの経営革新は、生産を委託していた岩槻光機と富士フイルム竹松工場の譲渡を1971年に受け、それまでの販売会社からメーカーへ転身するという経営トップの決断から始まり、私は1972年からその推進を担当し、経営革新に関与することとなる。
 メーカーに転身するという経営革新におけるトップの狙いは、将来の競合出現と競争激化を予測し、それらへの対応である。メーカーとしての体制を整えきれず、技術提携先の米ゼロックスに全面依存せざるを得なかった黎明期を脱し、富士ゼロックスでも独自にもの作りができるメーカー体質に転換し、強化することであった。
 そこで、まず技術・生産部門から経営革新活動を開始した。併せて、その経営革新を支える理論と手法を当時の先端管理技術に求め、TQCでは朝香鐵一と鐵健司、品質工学では田口玄一、信頼性工学では真壁肇の諸先生方に指導を願ったのである。後にIEの川瀬武志、金沢孝両先生も加わった。その辺の経緯と成果を記述したのがⅡ章「QC推進活動」である。そこでの成果は、問題解決プロセスとQCストーリーにもとづく、生産現場における管理者の改善事例作りと作業者のQCサークル活動、開発管理者による富士ゼロックス(FX)版PPP(Phased Program Planning)の作成、技術者による品質工学の学習と実践など、である。
 Ⅲ章に記述したニューゼロックス運動(NX運動)により、企業体質の強化を目指した活動は、小林さんの強力なリーダーシップのもと全社に拡大・本格化して、営業を含めたメーカー体質の基盤が確立された。科学的営業活動「富士ゼロックスの販売プロセス」が独自の営業管理手法として編み出され、社会的にも評価された。一方、FX版PPPを活用してダントツ独自開発商品「FX-3500」を、全社を挙げて創出した。その後、機能別管理を全社的に展開して、FX版PPPを「刺身状開発」(通称サシミ状開発)にまで進化させた。これらの活動が評価されて、富士ゼロックスは1980年にデミング賞実施賞を受賞したのである。
 その後、私の仕事は、経営革新の推進から実践の場に移り、商品開発の拠点であった海老名事業所においてNX運動で出遅れた生産部門の再生を成し遂げ、コスト競争力の強化を図った。次いで、世界に通用する競争力を備えた商品ラインアップ(品揃え)の同時期並行開発を果たし、“独自にもの作りができる体質に転換し、強化する”という当社経営革新の当初目標を達成することができた。それが、Ⅳ章「海老名事業所の改革」である。
 次に手掛けたのが、鈴鹿富士ゼロックスでの改革で、それがⅤ章である。富士ゼロックスは、技術力強化策の一環として、重要機能部品の生産を目的に、鈴鹿富士ゼロックスを設立し部品事業に参入したが、うまく経営できず赤字が累積してしまった。私はそこに乗り込んで、赤字解消のための改革を実施し、短期間で黒字化を果たした。成功の要因の一つに、IT化という当時の時流に沿って、商品のデジタル化に必須な部品へ転換したことがある。さらに、体質を強化すると共に、富士ゼロックスの価格要求に応じて必要な量を担保し、それと並行して大手顧客を獲得して利益を確保したことが成功要因として挙げられる。
 鈴鹿から富士ゼロックス本社に戻ってからは、トナー/現像剤/感光体など消耗品の研究・開発・生産拠点であった竹松事業所の時流に乗り遅れた技術をキャッチアップし、続いて、21世紀に役立つ研究所に変革するという技術部門の経営革新に挑戦した。この時代の特徴は、海老名と鈴鹿で成功した経営革新の経験を活かして、専門家の先生方の直接的な指導を仰がず、独自に竹松事業所と研究所の革新を実践したことである。それをⅥ章として記述した。ここで実践できたことは、NX運動を本格導入できずに、時流に乗り遅れ、古い技術と管理に固執する両地区の技術陣に、革新の流れを興すことであった。
 以上の経営革新に共通していることは、お客様に受け入れられる(すなわち売れる)価値ある商品(プロダクト)を創出し、その商品をお客様が満足する価格で提供できる、競争力のある生産プロセスを実現していることである。言い換えれば、富士ゼロックスにおける経営革新の歴史は、プロダクトとプロセスのイノベーションの歴史である。
 ただ、プロダクトとプロセスのイノベーションはいずれも、当然のことながら社員である人間の努力によって成し遂げられている。人は革新せねばと思っても、すぐに目指せないことが多い。当社の場合も、そこに向かうことを阻害する、慢心、油断、被害者意識、恐怖、失望、疲労などのメンタル・ブロックを取り除くための行為が、プロダクトとプロセスのイノベーションの前に必要であった。それらが取り除かれた後に、改革活動が本格化している。
 経営を革新するには、経営者が将来の脅威や社員の不安に気付ける感性を能力として保有することが必須である。私の場合、その感性を育み、鍛えられた基盤は、管理者になる以前の若い頃であったと思い当たり、それをⅠ章に記述したのである。
 ここに記述した富士ゼロックスの経営革新活動を貫いて、堅持してきた私の経営信条は、「雇用を確保するための価値ある商品の創造」と「現場中心主義」である。
 経営革新は効率(生産性)を追求する活動であるとも言えるから、成功すればするほど、そのままでは失業者を生み出し雇用が確保できない。生産性が上がることによって生じた余剰時間を使って、価値あるプロダクトを創出するための仕事を社員に与え、不安なく仕事に打ち込める環境を整備するのが、経営者の責務であると信じている。それが「雇用を確保するための価値ある商品の創造」である。逆説的な言い方をすれば、創造的な活動をする時間を生み出すために、プロセスの効率化を図り、それを確保したとも言える。
 また、現場(営業・生産・開発・研究)の人たちの自主的な改善能力を育成し、彼らの成長を軸に、価値(商品・サービス・技術)を生み出すプロセスの段階的な合理化を果たし、彼らの能力向上に合わせて先端設備や優れた仕組みを備え、さらなる生産性の向上を図るという、「現場中心主義」を貫き通してきた。
 この二つの経営思想を富士ゼロックスの経営革新から学び、実践して、その有効性を検証した史実が本書である。
 私が富士ゼロックスで関与した経営革新は、すべて3〜5年で程々の成果を上げたが、その成功要因の一つは、富士フイルムおよび富士ゼロックスから、もの作りの一貫した流れに沿った仕事が与えられたからだと思えてならない。まず、研究所で新しい技術・商品の開発に従事し、それを生産する工場を建設するために生産技術の現場に身を置き、その生産設備の不具合を生産現場管理者(製造係長)として作業者と共に改善し、さらに、その生産工程を管理するための品質管理を課長として担当した。その後に、製・販合体した富士ゼロックスのTQCによる経営革新(NX運動)の推進役(室長)を命じられた。ここでも技術・生産部門から始め、営業、さらに本社へと段階的に活動範囲を全社に広げていった。その際の最大の課題は、KKD(勘・経験・度胸)経営から科学的経営への変革であったが。このようにして、研究⇒生産技術⇒製造⇒品質管理⇒営業という、もの作りの流れに沿って、経営革新に必要な、人間的側面・技術的側面・管理的側面に関する理論と手法を学び、それを実践する、貴重な経験を積むことができた。
 さらに、役員になってからは、工場長、事業所所長、関連会社社長、研究所長として、(営業⇒)工場⇒商品開発⇒部品の開発・生産・販売⇒技術開発⇒研究と、今度はもの作りの流れを逆にさかのぼったのである。従って、「結果からそれを生み出す工程をマネジメント(管理)する」というTQCの教えを、文字どおりに企業組織上の流れに沿って実践できた。
 「次工程はお客様」という言葉があるが、これは経営革新においてお客様視点が大切であるということを示唆するものである。今にして思えば、営業から研究まで、次工程のお客様が前工程に乗り込んで革新をしたとも言える稀有な経験から、極めて自然に顧客視点による経営革新が達成できたのである。そのような職歴を与えてくれた富士フイルムと富士ゼロックスの諸先輩に感謝する。
 1970〜1990年代に行われた日本の製造業の活動記録事例として役立つようにと、本書は客観性堅持の視点から、できるだけ具体的な活動のみを時系列に記述してきた。であるが、それを書き終えてみると、富士ゼロックスの経営革新とは何であったかを私自身が検証できたとの思いがしてならない。とするなら、私の主観が入り客観性を損なう恐れがあるが、どのような考え方で何を工夫し、いかなる特徴や成果が得られたか、経営革新の成功要因とも言うべきことを「おわりに」として書きおくのも意味があるように思えてきた。
「おわりに」を書く気にしたもう一つの理由がある。このところ品質やその検査に関わるトラブルが頻発しているが、その度に報じられる場面で、「品質管理を徹底して再発防止に努めます」という当該企業トップの謝罪の弁を聞くと、言葉は使われているが、品質管理活動が形骸化し本質が見失われて、当時の常識では考えられない事態が昨今のもの作り現場に起こっている気がしてならないからである。

2017年3月 土屋 元彦

買い物かごへ