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父と私

定価(税込)  1,728円

著者
サイズ 四六判
ページ数 308頁
ISBNコード 978-4-526-07676-3
コード C3034
発行月 2017年03月
ジャンル ビジネス

内容

娘から見た、政治家・田中角榮氏とは?眞紀子氏自身の筆で今、明らかにされる実像!
幼少期から父の死に至るまでの四十七年もの間、深い絆で結ばれてきた父と娘。昭和から平成という激動の時代をともに歩んできた著者が、研ぎ澄まされた感性とクリアな視点を通し、時にユーモアを交えながら活写する田中角榮氏の実像。娘は父から何を学び、父をどう支えてきたのか。そして今、何を次代に伝えようとしているのか。名宰相・田中角榮を、傍らで四十七年にわたり見つめていたからこそ知る真実が著者自身の足跡とともに語られる。

日刊工業新聞社ウェブサイト 『父と私』 特設ページ←こちらをクリック!

「お前(眞紀子)には世界中を見せてあげよう。それがお父さんの夢だ」
(眞紀子氏が幼少の頃からの角榮氏の口癖)

「(眞紀子は)言わんでいいことをズバリと相手構わず言ってのけます。しかも困ったことにそれが結構的を射ているのであります。かくいう私もかなりひどい目にあっている」
(直紀氏と眞紀子氏の結婚式でのスピーチ)

「人としての魅力に溢れていたのよ。あんな人は今まで見たことがない。国会の廊下ですれ違うだけでも〝熱風〟が通るようだった」
(土井たか子・元日本社会党委員長の角榮氏評)

大好評!読者からの反響続々!新聞・雑誌書評欄に多数掲載!
【読者の声】
・「角榮さんに対する敬愛の情に溢れた、日本政治史上貴重な文献」
・「一般の漠然とした田中角榮観を補完して実像に迫る、眞紀子さんならではの書」
・「あの超大物俳優との知られざるエピソードを読んで、今なお多くの人を惹きつける角榮さんの〝魅力の真髄〟に触れられた気がした」


読者からの反響が非常に大きかった第三章-スピーチ-の内容を掲載します!

 政治家という職業は、後援会でのミニ集会をはじめとして、国会での質疑応答や街頭演説など公の場でスピーチをする機会が多い。
〝演説力は政治家の命〟と言われる所以である。
 私も企業など諸団体の会合や大学での講義など、千人規模のハコもの(構造物の中でのスピーチを業界用語でこう呼ぶ)をこなしたことも数多くある。また、選挙応援で宣伝カーの上で両手に持ちきれないほどの数のマイクを握りしめて、それこそ足を踏ん張って、ズラリと居並ぶマスコミのカメラの放列の前で不特定多数の聴衆に向かって街頭演説をした経験も多い。そのほかに冠婚葬祭や各種式典など決まりきった場での急なご指名もこなしてきた。

 今振り返ってみるに、生涯忘れられないスピーチがいくつかある。そのなかの一つに、私の結婚式でこともあろうに突然父が自ら進んで行ったものがある。
 昭和四十四(一九六九)年四月。当時、日本鋼管(現JFEホールディングス)社員であった新郎鈴木直紀氏は弱冠二十八歳。官僚の家庭の三男坊としてのんびりと暮らしていた模様であった。お互いの家族は親族が少なかったこともあり、都内のホテルで静かで落ち着いた雰囲気のなかで神前結婚式を挙げた。引き続き行われた披露宴は、着席形式で小規模なものを私たちは希望していたのだが、当時の父の社会的な立場もあって政財官界からの多数の出席者に配慮して立食形式となった。時間を有効に使うということは父の人生の重要なモットーの一つであり、自分の時間はもちろんのこと、他人をむやみに長時間拘束するべきではないというのが持論であった。着席形式でお客様が時間を気にしてモジモジしたり、時計をチラチラ見るようなことになっては申し訳ないという考え方であった。したがって、婚礼といえども客人同士が自由に交流し、軽い飲食後にはサッと退出できるということに父は強くこだわっていた。
そんな大宴会も終わりに近づいた頃、司会者にちょっと手を挙げてから、突然父がマイクの前にスタスタと歩み出た。いったい何事かとざわめく人々の前で父は恭しく来賓の方々へ頭を下げてからこう切り出した。
「花嫁の父がスピーチをするなどということは異例であることは充分心得ております。しかし、眞紀子の父親としてどうしても直紀君に言っておきたいことがあります」
と述べた。
〝これはいったいなんたること!いったい全体何を言い出すやら……〟と、文金高島田に白無垢、打掛姿の私は大いに動揺した。
「私たち夫婦には正法(まさのり)という長男がおりましたが、仏法の名前負けをしたのか、幼くして肺炎で亡くなりました。眞紀子という名前は訓読みをすると『まさのり子』となります。年子の兄妹はとても仲良しで、まるで双子のようにして育ちました。正法の死は今も私たち夫婦にとって痛恨の極みであります。長男の死後は、眞紀子をあえて女の子というよりも、田中家の跡取りとして男の子のように育ててきました。物事の判断を間違えず、どんな時にも責任を取れる人間として教育をしてきたつもりです。その点に関してはいささか自信があります。そこで今後、直紀君が眞紀子に対して料理や掃除など家事一切を普通の女性並みに求めてもらっては困るのであります。そういう教育はまるでしてありません。君が今後、家事などで不満がある時には、ウチの妻君やお手伝いさんをいくらでも派遣します」
この発言に会場はドッとどよめいた。花嫁姿の私は〝よりによってこんな時に何を言い出すやら……。失敬な奴め!〟と両手をかたく握りしめた。ところが続いて父の口からこんな言葉が飛び出した。
「もう一つだけつけ加えておきます。それはこの子は誰に似たのか大変口が達者であります」
 この大真面目な断言口調に人々は遂にゲラゲラと声を出して笑い始めた。
「言わんでいいことをズバリと相手構わず言ってのけます。しかも困ったことにそれが結構的を射ているのであります。しかもさらに続く理屈がこれまた結構理路整然としているので始末が悪い!かくいう私もかなりひどい目にあっている。そこで、今後そういうことがあった場合には遠慮なく殴ってくれて結構です」
 ここまで一気に話し終えると父は〝ハァ〟と一息ついて額の汗をぬぐった。会場はすでに大爆笑の渦である。チラチラと花嫁たる私の反応を観察しながら抱腹絶倒しているお客様もいる。新郎直紀氏のほうをチラリと見ると、困りきった表情で対応不全といった様子で金屏風の前に立ち尽くしていた。困惑しきった生涯の伴侶となる人物と、熱弁をふるう父との間に立った私は〝花嫁姿でさえなければ抗議声明の一つでも発表したいくらいだ〟と切歯扼腕した。
「ただし」
 とさらにつけ加えた。
「君は体がでかいから本気でたたかれたらさぞ痛いだろう。殴れとは言ったが、その時は手加減してくれるように頼みます」
 と言って主人のほうへ向かってお辞儀をしたのである。世間では権力者と思われていた父のそんな姿に出席者たちは大笑いしながらも、涙ぐんだりして会場には万雷の拍手が鳴り響いた。
〝こんなに優しい男性がこんなかわいいお嫁さんを殴るなんてあるはずがないのに〟と勝手に得心しつつも、とにかく〝神前ではしっかり角隠しをしておいて本当に良かったわい〟と内心安堵もした。ところが次の瞬間、
「お転婆娘が今日から私の手を離れると思うと、こんなうれしいことはあ・り・ま・せ・ん……」
 と言って父はこともあろうに絶句したのである。そんな父の姿に会場のどこかから、
「ようし、よくわかった!もういい!角さん、もういいよ!」
 と声がかかった。この温かい笑顔と声援に私は胸が熱くなった。父は深々と礼をして、スピーチ未完了のまま自席へ戻り白いハンカチーフで目頭と鼻を拭っていた。この時のスピーチは当時の政財官界でかなり有名な話となった。

 母と親交の深かった池田・大平元首相の夫人たちは目白に来られるたびに、
「あの時のスピーチを聞いて、田中先生にとって眞紀子ちゃんは掌中の珠。目の中に入れても痛くないとはあのことね」
 といつも話題にしておられた。日頃は控えめな母が、
「あの親子はいつどこで何を言い出すかわからないところがそっくりなんです。本当に困ったものです」
 と応じていた。
 両親亡き後約二十二年。今や私たち夫婦には孫たちもいる。この間、主人が私に手をあげたことはただの一度もない。今ではなんとも懐かしく有難いスピーチであったと父に感謝している。


【書評】など主な掲載一覧(2017年5月30日更新)
個別の記事全文を読むには、各サイトへの登録等が必要な場合があります。

◇【西日本新聞 3/21付書評】(同サイトへ移動します)
◇【北海道新聞 4/2付書評】(同サイトへ移動します)
  評者:法政大学教授 白鳥 浩 氏
◇【朝日新聞 5/20付記事】(同サイトへ移動します)
  田中眞紀子氏が目の不自由な方のために、著書を音読し録音図書に協力していることを紹介
◇【朝日新聞 5/21付書評】(同サイトへ移動します) 
  評者:ノンフィクション作家 保阪 正康 氏

【その他の掲載】 下野新聞 3/21付書評(21面)/ 北國新聞 4/8付書評(15面)/ 山梨日日新聞 4/9付書評(10面)/ 秋田魁新報 4/9付書評(9面)/ 徳島新聞 4/16付書評(8面)/ 四國新聞 4/16付書評(17面)/ 神奈川新聞 4/16付書評(5面)/ 京都新聞 4/16付書評(11面)/ 熊本日日新聞 4/16付書評(6面)/ 日本経済新聞 4/22付書評 (31面)/ 佐賀新聞 4/23付書評(9面)/ 長崎新聞 4/30付書評(19面)/ 大分合同新聞 5/7付書評(18面)

田中眞紀子  著者プロフィール

(たなか まきこ)
1944 年 生まれ
1968 年 早稲田大学第一商学部卒業
1993 年 衆議院議員に新潟県旧第3区より無所属で初当選
1994 年 科学技術庁長官(村山内閣)
2001 年 外務大臣(小泉内閣)
2012 年 文部科学大臣(野田内閣)
2012 年 衆議院解散に伴い議席を失い、今日に至る
〈役職〉
越後交通株式会社代表取締役会長
株式会社新潟放送顧問 他
〈家族〉
父田中?榮(元内閣総理大臣)
夫田中直紀(元防衛大臣)
一男二女の母
〈著書〉
『時の過ぎゆくままに』(主婦と生活社)、『私の歳時記』(海竜社) 他
〈受賞〉
ベスト・スマイル賞、エグゼクティブ・ファッション・アワード、
ベスト・ジーニスト賞、ナイスカップル賞、流行語大賞 他

目次

はじめに
第一章 マコちゃん―幼少期
マコちゃん
女代議士
年寄りと四季
転 生
朝の身仕度
第二章 お嬢さん―独身時代
ニューヨークの秋から北京の秋へ
党人派と官僚派
構想力と先見性
口 癖
第三章 奥さん―結婚後
スピーチ
日本列島改造論
あれは、いったい何だ!
時は大騒ぎをして、頭上を通り過ぎていった
表と裏
北京にて
父、二十年目の北京
秘書とスタッフ
第四章 先生・大臣―衆議院議員になって
お隣の国・韓国(四話)
静と動
神 饌
宮中での食事
父の気配、今も
第五章 眞紀子さん―議員バッチを外して以降
朝の風景
アノニマスであること
人間観察
ソーシャル・メディア
笑 い
遺墨展
アメリカの大統領選挙
「鳳鳴朝陽」に非ず
おわりに

はじめに

はじめに
この世で何が鬱陶とうしいといって、他人から父についてあれやこれやと聞かれることほど煩わしいことはない。
良きにつけ悪しきにつけ、相手は興味津々で私の口から発せられる片言隻句を聞きもらすまいと身を乗り出してくる。その雰囲気が嫌なのである。父が世間で言うところのいわゆる〝有名人〟であることは十二分に承知している。自分がそうした有名人の娘であるからかどうかはわからないが、私自身は学界、政財界、芸術家等、国内外の著名人と相対しても、鈍感なせいか気後れするということはまったくない。ごく平常心で挨拶や会話をしている。むしろ面倒なのは、そうした超一流人のご家族と話をする時である。
ある人は斜に構え、またある人は尊大な受け答えをすることが多々ある。そんな時、この方も私と同様に家族のことを聞かれるのではないかと警戒しておられるに違いないと忖度して、そういう人たちにはなるべく近寄らないようにしている。芸術家であれ、財界人であれ〝超〟の字のつく人にはオーラがある。確かな哲学に基づく自信が漲みなぎっている。そしてごく普通な人間らしさをも兼ね備えている場合が多い。本物とはこういう人物のことをいうのであろう。海外でお目にかかった女王や国王、政治家、芸術家等も例外ではない。
かねてから父に関する思いや出来事の数々は、胸に秘めたまますべて黄泉の国まで持ち去ろうとずっと心に決めていた。
そんな私がこの際、父に関する事柄も含めた本を出版しようと決意したのには理由がある。今や世の中はかつてないほどの〝田中角榮ブーム〟であり、全国の書店の棚には父に関する本や雑誌が溢れ、テレビ等のメディアでも関連事項が度々取り上げられている。そうしたなかには揣摩憶測や伝聞、自己宣伝目的と見受けられるものもある。父の喜びや悲しみ、プライドや悩み等を間近で共有してきた私自身が両親に対する追慕の念、そして何よりもこんな私を大切に慈しみ育ててくれたことに対する心からの感謝を込めて、小書を出版することとした。
私が物心ついた三歳頃には、父はすでに国会議員となっていた。したがって、その頃から平成五(一九九三)年十二月に七十五歳で亡くなるまでの四十七年間の出来事を中心に記している。
『日本列島改造論』でご縁のあった日刊工業新聞社が出版を快諾してくださったことに感謝申し上げたい。
「古今東西人間の一生はそれぞれ一度限りであり、一人ひとりの命と尊厳は守られなければならない」
このことは我が父がずっと言い続けてきたことであり、私が生きていくうえでの最高の指針でもある。
田中眞紀子

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