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おもしろサイエンス
錯視の科学

定価(税込)  1,728円

著者
サイズ A5判
ページ数 132頁
ISBNコード 978-4-526-07657-2
コード C3034
発行月 2017年01月
ジャンル ビジネス

内容

本書は、錯視研究の第一人者である著者オリジナルの図をふんだんに用いて様々な錯視を紹介、解説する。錯視、すなわち目の錯覚は生理的な現象で、メカニズムが理解できても補正して見ることは難しいが、メカニズムを知ることで現象のなぜを解決し、目の錯覚を利用したものを制作するヒントを得られる一冊。

北岡明佳  著者プロフィール

●著者略歴
北岡明佳(きたおか あきよし)
1961年 高知県生まれ
1991年 筑波大学大学院博士課程心理学研究科修了 教育学博士
動物心理学を専攻し、ラットとマウスの情動性と穴掘り行動を研究
1991〜2001年 ㈶東京都神経科学総合研究所(現・(公財)東京都医学総合研究所)入所
主事研究員として勤務し、ニホンザルの大脳視覚皮質の電気生理学的研究とヒトの知覚研究を行う
2001年〜 立命館大学文学部助教授
2006年〜 立命館大学文学部教授
2016年〜 立命館大学総合心理学部教授
上記経歴に並行し、2014年より立命館大学人間科学研究所、2015年より立命館大学システム視覚科学研究センター、認知科学研究センターにも所属
現在の専門は知覚心理学。特に、錯視の実験心理学的研究と錯視デザインの創作を得意としている。2006年に第9回 ロレアル 色の科学と芸術賞の金賞受賞、2007年に日本認知心理学会から第3回独創賞を受賞。錯視コンテスト(2009年〜)の審査委員長を務めている。2013年には、レディ・ガガのアルバム『アート・ポップ』のCDのインサイドデザインに錯視デザイン『ガンガゼ』が採用された。
●著書
「トリック・アイズ」シリーズ(2002〜2014年、カンゼン)
「現代を読み解く心理学」(2005年、丸善)
「だまされる視覚 錯視の楽しみ方」(2007年、化学同人)
いちばんはじめに読む心理学の本⑤ 知覚心理学─心の入り口を科学する─(2011、ミネルヴァ書房)
「錯視入門」(2010年、朝倉書店)  等
●監修
ニュートンムック別冊「脳はなぜだまされるのか? 錯視完全図解」(2007年、ニュートンプレス)
「錯視と錯覚の科学 目の錯覚はなぜおきるのか?」(2013年、ニュートンプレス)
別冊日経サイエンス174 「知覚は幻 ラマチャンドランが語る錯覚の脳科学」(2010年、日経サイエンス社)
別冊日経サイエンス198「脳が生み出すイリュージョン 神経科学が解き明かす錯視の世界」(2014年、日経サイエンス社) 等

目次

第1章 こんなところに! 日常にある錯視
1 錯視とポップアート
2 坂道錯視
3 蜃気楼は錯視か?
4 斜塔錯視
5 「透明視」という錯視

第2章 明るい? 暗い? 明暗が作り出す錯視
6 明るさの恒常性という錯視
7 グラデーションによる明るさの錯視
8 グラデーションによる凹凸の知覚
9 霧の錯視「視覚的ファントム」
10 2つの並置混色と明るさの錯視
11 ホワイト効果

第3章 形と線が織りなす錯視の世界
12 渦巻き錯視
13 傾き、彎曲、膨らみの錯視
14 4つの要素から成る傾き錯視
15 4つの要素から成る静止画が動いて見える錯視
16 逆遠近法というだまし絵
17 不可能な図形
18 錯視の個人差

第4章 動く! 消える! 点滅する!動きを感じる錯視
19 蛇の回転
20 動いて見える錯視に見られる現象「参照枠」
21 遅れて見える錯視
22 消える錯視
23 きらめき格子錯視
24 閃光線錯視
25 その他の錯視いろいろ

Column
錯視のデザインと著作権
「動いて見えるフェンス」
伝統産業とのコラボ
「チェーンの回転」

参考文献
参考ホームページ
索引

はじめに

 吾輩いや、我々は人間である。万物の霊長である。世界で一番偉いのである。もちろん、それはただの思い上がりなのだが、どんな錯覚にも根拠はある。
 まず、人間は大いに長生きである。この点は、あまり重要なことではないように聞こえるかもしれないが、人間も生物である以上、生存競争に打ち勝ち、個体が長生きをするということは、生物界の成功者あるいはバイオロジカルドリームの体現者と言えよう。
 一方で、「俺達が偉いのは頭がよいからである」という高知能説を根拠として採用する人間が多いだろう。「頭がよい」理由として、道具を使い、思考能力に優れているだけでなく、言語を使用するという点で他の生物を凌駕する、といったところが定番である。「他の生物にはない機能が(創造主を信じる人は神によって)人間には特別に与えられている」という思い上がりこそが、この錯覚の大いなる後ろ盾である。
 ところが、引き続きその論法で進めていくと、「人間は錯視を見るから偉い」という結論が得られる。なぜなら、実は錯視を見るのは人間だけだからである。いや、他の動物においても人間が見る錯視と同様の知覚の歪みが起こることは、いくつかの証拠からわかっている。そういう意味では、人間だけに錯視が見えるわけではない。
 しかしながら、人間だけが錯視を錯視として認識するのである。人間以外の動物にとって、錯視はただの知覚にすぎない。人間だけが特定の歪んだ知覚をことさら選び出し、それらを「錯視」とか「だまし絵」と呼んで珍重するのである。
 錯視はおもしろい。このことはあたりまえのようでいて、あたりまえではない。人間にしか通用しない、いわばローカルルールである。これまでの観察報告に従えば、他の動物に錯視を見せても特におもしろがらない。いや、研究がまだ十分でないだけかもしれず、錯視を見せたらおもしろがる動物も今後現れるかもしれない。そうなったら本稿の面目は丸つぶれであるが、錯視研究の新時代の幕開けをお祝いしよう。
 ところで、人間は何を錯視と呼ぶのだろうか。人間に聞いてみたところ、「間違った知覚を錯視と呼ぶ」人間が多いようだ。問題は、間違っていると言っても、①正しい知覚の働きそのものであるが、見方によって正しくない働きをしたと認識されるもの(広義の錯視、だまし絵、恒常性、ゲシュタルト要因など)と、②正しい知覚なのかどうかよくわからない誤動作的な知覚(狭義の錯視)の2つに分かれる。
 どちらもおもしろい。どちらの分類でも、特におもしろいわけではない現象はたくさん含まれうるのだが、それらの場合は錯視とは呼ばれず、①なら正しい知覚の表れとしてアカデミックに取り扱われ、②なら○○効果とか○○現象などと言う名称でアカデミックに取り扱われる。
 そう、錯視はどこかアカデミックではないのである。錯視研究は実験心理学的研究だからアカデミズムの王道を歩んでいるはずなのだが、その研究対象である錯視はアカデミック感が低くて、エンターテインメント感が高いのである。アカデミック感は人間らしい特別なこころの働きである。しかし、よく考えるとエンターテインメント感も人間らしい特別なこころの働きなのである(人間以外の動物が娯楽をするだろうか)。つまり、錯視を見ておもしろいとか楽しいといった感覚は人間に特有であり、それらは人間という珍奇な生物を知る重要な手掛かりにもなる。
 出版において、錯視のエンターテインメント性を存分に表現しようとすると、究極的には子ども向きの錯視・だまし絵の絵本となってしまうような気がする。しかし、それは誤りであるというのが筆者の主張である。真の錯視本は、いわば大人の絵本である。本書は、錯視のアカデミズムとエンターテインメント性のどちらをも遠慮させることなく、錯視の真の姿を自由闊達に描いた真の錯視本であると考えている。この認識が筆者の大いなる錯覚でなければ幸いである。
2017年1月                                      
北岡 明佳

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