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翔べ、MRJ
世界の航空機市場に挑む「日の丸ジェット」

定価(税込)  1,760円

編者
著者
サイズ 四六判
ページ数 200頁
ISBNコード 978-4-526-07399-1
コード C3034
発行月 2015年03月
ジャンル ビジネス

内容

2015年、国産旅客機「MRJ」(三菱リージョナルジェット)が空を飛ぶ。日本の航空機業界にとって、1960年代に官民で開発された「YS―11」以来、実に半世紀ぶりの悲願だ。本書ではMRJとはどんな飛行機なのか、その特徴を解説することはもちろん、開発に至るまでの経緯や製造・販売面などの取り組みを関係者の話を交えながら紹介。また、日本の航空機産業の歴史や、MRJが参入する世界の航空機市場の動向など、周辺事情なども併せて解説。MRJのことを知るにはまずこの一冊。
2015年11月11日、初飛行!

杉本 要  著者プロフィール

(すぎもと・かなめ)

日刊工業新聞社の「航空機」担当記者。2010年に首都大学東京法学系を卒業し、日刊工業新聞社に入社。11年から名古屋支社編集部記者として、航空宇宙、セラミックス、電機・電子部品業界、名古屋市政などの分野を担当している。約50年ぶりの国産旅客機「MRJ」の取材をきっかけに航空機の世界に魅せられ、中部3県(愛知・岐阜・三重)を中心に全国の企業や自治体の取材に明け暮れる。また、英国やフランス、北米、シンガポールなど、海外の航空機産業も精力的に取材している。1987年生まれ、岩手県花巻市出身。

目次

はじめに  

第一章 MRJとはどんな飛行機なのか  

高揚感に包まれた会見場  
MRJとは?  

航続距離は約3400キロ  

GTFエンジンって何?  

尾翼に技アリ  

MRJは「イケメン飛行機」  

MRJはなぜ開発されるの?  

国の委員会で議論  

専門委員会を設立  
エアショーに出展  

新型エンジンで“サプライズ”  

ANAから受注、ついに事業化  

新生・三菱航空機  

第二章 MRJで変わる航空機産業のモノづくり  

MRJはどうやって作られるの?  

協力企業による部品の“共同工場”もつくる  

人が足りない!  
コストダウンが課題に  

「カスタマーサポート」も重要に  
「産業が変わる」  

第三章 「航空機大国」の栄光と挫折  

「ライト兄弟」よりも先?  

大正時代に進んだ航空機の研究  

戦時下の技術開花 日本は航空機大国に  

「零戦」――三菱の名機
「隼」、「疾風」――陸軍の主力機  
「飛燕」――初の“液冷”エンジン搭載機  

「紫電改」――最強の戦闘機とも言われた  

量産されなかった「ジェットエンジン機」と「ロケットエンジン機」  
軍と運命を共にした航空機産業  


第四章 YS―11の登場と失速  

戦後、「空白の7年間」からYS―11へ  

「5人のサムライ」  
「寄り合い所帯」での開発  
東京五輪で聖火輸送  
YS―11、世界に羽ばたく  

YS―11の“失速”  

YS―11後にも「国産機プロジェクト」はあった  

第五章 競争激化する世界の空と、MRJのライバル  

世界の航空宇宙は25兆円産業、でも日本勢のシェアは5%  

成長確実な航空機産業  
航空機ビジネスの“うまみ”  
世界の旅客機市場  
ボンバルディア  
エンブラエル  
中国  
ロシア  


第六章 「産みの苦しみ」を越えて 三菱の航空機事業  
ビジネス機「MU―2」でベストセラーに  
続いて国産初の「ビジネスジェット」に挑戦  
大手でも多発する開発遅延  
「大幅な設計変更」 1回目の延期  

2回目の延期  

3回目の延期は「型式証明」が壁に  

開発状況をオープンに  

第七章 飛行機を売るという難しさ  
華やかなエアショー  
「紙飛行機」を売る  

「日本製」が信頼を後押し  

MRJを最初に注文したのは全日空  

MRJは当初、戦闘機っぽかった?  
JALもMRJを32機発注  

航空会社からみた「リージョナルジェット」の難しさ  

首相がMRJを「トップセールス」?  

WTOで「訴訟」合戦に?  

第八章 ロールアウト、そして初飛行へ  
「美しい機体」  
式典には大物歌手が来る予定だった?  

ロールアウト翌日に6000人が集結  
今後も課題は山積  

日本よりも米国で飛ぶ方が多い?  
“ポストMRJ”に向けて  
日本は機体メーカー5社の統合を  



おわりに  


巻末情報

はじめに

2015年、約半世紀ぶりとなる国産旅客機が名古屋の空に舞う。三菱重工業傘下の三菱航空機が開発する70人―90人乗りのジェット旅客機「三菱リージョナルジェット(MRJ)」だ。現在のところ4―6月の初飛行を計画し、航空会社への納入開始は2017年4―6月を予定している。

「日本はかつて航空機大国だった」。飛行機に詳しい人は口をそろえる。「かつて」とは戦前のこと。1万機以上を製造したあの「零式艦上戦闘機」(零戦)をはじめ、軍用機の分野でいくつもの名機を生み出した。戦争のための動員もあったとはいえ、最盛期は業界全体で約100万人を雇用し、文字通りの基幹産業だった。

 軍用機だけではない。1937年には、陸軍の偵察機を改造した朝日新聞社の「神風号」が東京(立川)―ロンドン間、約1万5000キロメートルを合計94時間で飛び、世界記録を樹立。翌38年には東京帝国大学(現東京大学)航空研究所の実験機「航研機」が62時間以上の飛行で当時の周回飛行世界記録を打ち立てた。日本は大正から昭和初期までの一時期、航空機大国の名をほしいままにしていた。

 しかし、1945年の終戦とともに連合国軍総司令部(GHQ)から航空禁止令が発せられ、日本から航空機産業は消え去った。52年に航空機の製造が解禁されるまで7年間、欧米の航空機産業では「ジェット化」の技術革新が起こるなどしたが、日本はこの流れから取り残された。当時の苦い記憶は、今もなお「空白の7年間」として、航空機産業に携わる人々の胸に刻まれている。

 その後、在日米軍や欧米企業向けの下請け生産で力を付けた日本は1960年代に国と民間が共同で「YS―11」を開発。民間機事業に挑戦した。しかし、寄り合い所帯ゆえにコストダウンが上手く行かず、開発時の赤字を解消できないまま通算180機を納入したところで撤退。以降、再び欧米企業の下請け事業に軸足を移し、今日に至っている。

 この状況から脱しようと、YS―11以来半世紀ぶりの国産旅客機として開発されているのがMRJだ。現在は愛知県営名古屋空港(愛知県豊山町)に隣接する三菱重工の工場で、機体の強度を調べたり、機能を確かめたりする試験を行っている。

 筆者は産業総合紙「日刊工業新聞」の記者として、2011年夏ごろからMRJや航空宇宙産業などの取材・執筆を担当してきた。この3年半を通じて感じるのは、やはりMRJには、メード・イン・ジャパンの飛行機を世界に届けるという壮大な“夢”が、ぎっしり詰まっているということだ。

 その“夢”は、欧米の下請けに甘んじる航空機産業の構造を変えるという意義だけにはとどまらない。日本を、「かつての」ではなく、現在進行形の航空機大国に押し上げ、基幹産業の一つにできるのではないか、という期待である。

 わが国ではモノづくりの空洞化が叫ばれて久しい。自動車や機械といった製造業は世界を席巻してきたが、その足元を見れば、モノづくりは労働コストの低い新興国に流出している。こうしたなか、次の時代に国内で何を作るべきなのか。その答えのひとつが、航空機だと信じる。

 航空機製造業の世界市場が約25兆円ある中で、日本のシェアはわずか5%程度に過ぎない。MRJをきっかけに、旅客機という「完成品」を持てば、伸びしろはたくさんある。
 
もちろん、半世紀ぶりの開発なだけに、MRJプロジェクトは決して順調なことばかりではない。これまでも大手航空会社からの新規受注といった晴れ舞台を見ることもあれば、開発スケジュールの遅れという「産みの苦しみ」に直面する場面も目にしてきた。それでも、三菱重工と三菱航空機は少しずつ歩みを進め、間もなく初飛行に臨もうとしている。国産旅客機の開発、それは経験のない分野に挑む人々の、汗と涙の物語である。



2015年3月

杉本 要

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