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儲かる工場への挑戦

定価(税込)  2,160円

著者
サイズ A5判
ページ数 208頁
ISBNコード 978-4-526-06809-6
コード C3034
発行月 2012年01月
ジャンル 生産管理

内容

前作「儲かる工場のしくみ」に続いて、「工場の全部門の活動」を指導する会話形式の工場管理本。新人コンサルタントのみさきさんが、プロコンサルタントの堀口氏とともに、今度は赤字転落した町工場を再建する!「現状分析」「ギャップ分析」「解決の方向性」を見極めた上で、「機械加工現場」「組立職場」「生産性・利益」のそれぞれを対策する。

堀口 敬  著者プロフィール

(ほりぐち たかし)

1950年北海道生まれ。中小企業診断士。
1972年室蘭工業大学を卒業後、沖電気工業(株)に入社し、ファクシミリ、プリンタの開発を行う。
1994年からは、原価企画部門責任者として、以下の業務に従事する。
●競合45製品へのティアダウン
●東南アジア60社へのコストダウン指導
●自社3工場間の原価管理システム開発
●自社20製品の原価企画

2003年に独立後は堀口ビジネスコンサルティングを経営し、コストダウン専門のコンサルタントとして以下の活動を行っている。
●製造業58社(34業種)への「現場改善、コストダウン、原価管理」指導
●中小企業大学校、タイ国技術振興センターなどで91回の原価管理教育
●国内、アフリカ、中央アジア、東南アジアなどで164社への工場診断

著書には「原価管理の基本がすべてわかる本(09年 秀和システム)」、「儲かる工場のしくみ」「ティアダウン導入ガイド 第2版(09年 日刊工業新聞社)」「こんな原価管理は役に立たない!(08年 日刊工業新聞社)」、「利益を出すコストダウンがわかる本(08年 日本能率協会MC)」、「会社にお金が残る原価管理(08年 明日香出版社)」など計11冊がある。

目次

はじめに

1章 工場の現状を把握する
1-1 工場が儲けるしくみ
1-2 工場での製造方法
1-3 今後の進め方を決める
1-4 改善目標を決める

2章  成形工場を改善する
2-1 プラスチックの成形とは
2-2 成形機の利益率を上げるには
2-3 成形機の現在の利益率を調べる

3章  成形機の稼働率を上げる
3-1 段取り時間の短縮で稼働率を上げる
3-2 段取り時間短縮の具体的な方法
3-3 ビデオと作業工程表を使う
3-4 改善活動を継続する
3-5 設備が故障する時間を短くする
3-6 設備の定期点検
3-7 稼働率アップの効果

4章  成形材料費を削減する
4-1 材料ロスを減らす
4-2 材料を安く買いつける
4-3 限界利益がプラスなら受注する
4-4 材料費削減の効果

5章  成形品質を上げる
5-1 品質アップの効果
5-2 品質問題による損失
5-3 品質改善のステップ
5-4 原因分析

6章  成形工場の在庫を減らす
6-1 在庫はなぜ必要か
6-2 過剰在庫は不良品になる
6-3 在庫の見える化
6-4 不良品を減らす効果

7章  成形工場の作業者を減らす
7-1 作業者を減らして利益を増やす
7-2 作業者削減の効果

8章  成形工場での成果をまとめる
8-1 成形工場での成果

9章  組立工場を改善する
9-1 組立工場の利益率を上げるには
9-2 組立工場の現在の利益率を調べる

10章  組立速度を上げる
10-1 作業方法を改善する
10-2 ボトルネック工程を改善する
10-3 レイアウトを変える
10-4 見える化でムダを取る
10-5 タクト・タイム短縮の効果

11章  組立品質を上げる
11-1 品質アップの効果
11-2 不良品を減らした効果

12章  組立工場の作業者を減らす
12-1 作業者を減らして利益を増やす
12-2 作業者削減の効果

13章  組立工場での成果をまとめる
13-1 組立工場での成果

14章  社長への報告
14-1 報告会

15章  1年後の会社訪問
15-1 1年後の成果
15-2 成形工場での成果
15-3 組立工場での成果

16章  付加価値が高い事業にチャレンジ
16-1 成功のシナリオをつくる
16-2 内製化で外注費削減
16-3 余った組立ラインを使って外注化
16-4 余剰設備で短納期・小ロット生産
16-5 セル生産で短納期・小ロット生産
16-6 セル生産でボトルネックを解消する
16-7 1人生産でボトルネックを見つける
16-8 仕事が終わったら帰宅する
16-9  今後の進め方

はじめに

 この本の執筆は、2011年の春から冬にかけて書きあげた。その間の半分は、チュニジアの現地工場へ改善指導を行うために、チュニスに滞在していた。滞在中は、ずいぶん色々な出来事があった。3年分くらいの人生経験を一気に積んだような気がする。

チュニジア革命
 前作「儲かる工場のしくみ」を書いていた2010年秋のチュニジア滞在時は、チュニス市街にはベンアリ大統領の写真があふれ、「国民に慕われている大統領だな!」という印象を強く受けた。しかし、2011年1月に起きた革命後に再びきてみると、市街からは大統領の写真がまったくなくなり、実は大統領が「裸の王様」だったことに、はじめて気がついた。
 2010年秋の滞在時に、通訳が「大統領一派への不平不満」を、毎日のように小さな声でぶつぶついっていたことを思い出す。
 今回、チュニスにきたときには、大統領派だった警官が逃げていなくなり、暴動によるインフラの破壊で、街の信号はほとんど消えていた。しかし、チュニジア人は、もともと信号は守らない人たちである。信号が消えても、なにごともなかったように車は交差点をスムーズに流れ(ただしドライバーは怒鳴りあいながら)、歩行者は車にぶつかりそうになりながら、平然と道路を渡っていた。
 ただし、ゴミ収集業者の待遇改善ストで、街なかにゴミがあふれたときの匂いが、ホテルの部屋にまで達したことと、デモが頻繁に行われる旧市街(土産物屋が多い)への立ち入りが制限されたことは、かなり不便だった。

チュニジアの工場
 私の同僚が革命前から指導していた家電製品の組立工場(たぶん大統領派)が、革命で焼き討ちにあい、彼の指導は中止せざるを得なくなった。しかし、私が指導していた六つの企業は、幸い革命後も問題なく操業していた。それどころか、大統領一族という「頭の上の重し」が外れたせいで、「さあ生産性を上げて稼ごう!」というやる気にあふれていた。
 日本では、指導してから数週間後に再び訪問すると、指導したことの半分くらいしか実行していない企業が多い。しかし、チュニジアでは、私が指導したことをすべて実行し、さらに作業者が新たなアイデアを実行した結果、計画の倍以上の生産性向上を果たす企業が多かった。こんなことは、タイの工場でも経験したことがない。
 もしかしたら、現時点では、チュニジアは「世界で一番元気な企業が多い国」かもしれない。

チュニスのリビア景気
 チュニジアは南北に長い国で、私が滞在しているチュニスから、国境が接しているリビア首都のトリポリまでは、直線距離で約500km、東京と岡山間くらいある。
 私が指導していた企業では、リビアでの内戦の影響は、まったくなかった。しかし、南部の都市(スファックス)での講演は、内戦で追われたリビア軍や革命軍が逃げ込んでくる恐れがあるので中止になった。
 チュニス市内では、内戦から逃げてきた人たちが使っている自家用車を10台に1台くらいの割合で見た。チュニジア・ナンバーとリビア・ナンバーでは、アラビア文字と数字の並びが違うので、アラビア語が読めなくても、すぐに区別がつく。新聞には書かれていなかったが、実は多くの避難民がリビアからチュニスにまで流れ込んでいたようだ。そのおかげで、チュニス市内のホテルは、ホテル代の相場を知らない「オイルマネーをたっぷり持っているリビア人」に、1泊5千円の部屋を2万円程度で長期間泊まってもらい、「リビア景気」で荒稼ぎしていた。そんな具合に、街には多くのリビア人が紛れ込んでいたが、街の治安はそれほど悪化していなかった。
 2006年から2009年まで、工場指導のために過ごしたケニアのナイロビに、スーダン国境から銃を持った難民が流れ込み、夜はまったく外出できなかった状況よりは、格段に安全だった。

原発事故
 今回のチュニジア出張は3月末からで、3月11日の大震災直後の出張だった。姪が郡山で学校の除染活動を行ったり、弟が福島で医療活動を行っているのを後にしてチュニジアにくるのは、後ろ髪を引かれる思いだった。
 しかし、工場での生産性向上とコスト削減しかできない自分を、もっとも必要にしているのは、福島の被災現場ではなく、長い間の独裁政治で「工場の生産性」が極度に落ち込んでいるチュニジアだろうと、自分にいい聞かせてチュニジアにきた。
 チュニジアでは、革命前から指導していた企業のすべての社長が、私に会うなり「日本は大丈夫か?」と聞いてきた。「日本のことより、革命直後の自分の国を心配してほしい!」といいたかった。しかし、こんなに心配してくれるのは、「我々のような日本人が、チュニジアでも多少は役に立っているからだろう」と思い、結構うれしかった。

外から見た日本
 夜、チュニスのホテルでテレビを見ていて驚いたのは、日本の新聞(ネット新聞)や「テレビの日本語放送」ではまったく取り上げられていない「日本国内での原発反対デモ」の様子が、CNNでバンバン流れていることだった。
 革命前にチュニジアにきたときに、ネット検閲が厳しく、You Tubeをまったく見られないチュニジア事情をバカにしていた自分が、とても恥ずかしくなった。ちなみに、今ではチュニジアでもYou Tubeを見ることができる。
 以前のナイロビ滞在時に、日本の新聞やテレビがまだ取り上げていなかった、「某大臣の酩酊記者会見」の様子が、ホテルのBBCで突然放送され、はじめは何のことかわからなかったことを思い出す。


 外から日本を見て、はじめて気がつくことが多い1年だった。

2011年、12月 三ヶ月ぶりに帰ってきた札幌にて

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